次のページ:後編 サテライトオフィスの創(chuàng)造的ワークスタイル
全國で問題となっている過疎化や高齢化。それを打破しようと各自治體でさまざまな試みが行われていますが、なかなか解決策が見えてこないのが現(xiàn)実です。特に雇用を生み出す企業(yè)誘致は多くの自治體が條件を揃えて取り組んでいます。
そんな中、徳島県の山間部にある神山町では、ITベンチャーや起業(yè)家が次々と移転?移住していることで注目を集めています。過疎化が進(jìn)んでいる町をビジネスの場に変えてきたプロジェクトの発信者、NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也氏に、多方面から注目されるその仕掛けについて、話を伺いました。
大南 信也 さん
NPO法人グリーンバレー 理事長
米國スタンフォード大學(xué)院修了。1998年より全國初となる「アドプトプログラム」実施や「神山アーティスト?イン?レジデンス」を相次いで始動(dòng)。2004年、NPO法人グリーンバレー設(shè)立。「創(chuàng)造的過疎」を持論に、多様な人が集う「せかいのかみやま」づくりを進(jìn)めている。
「土地の風(fēng)習(xí)が根付く田舎社會(huì)に、隙間を作ったこと」。
NPO法人グリーンバレーが行ってきた神山プロジェクト、成功のポイントは?との問いに、大南氏からこのような答えが返ってきました。隙間のあるゆるやかな田舎だからこそ、クリエイティブな都會(huì)の人間を受け入れることができたのだと、大南氏は言います。
グリーンバレーのおもな活動(dòng)は、空き家を活用したサテライトオフィスの誘致や移住者支援、國內(nèi)外のアーティストを呼んで作品を創(chuàng)作してもらう「アーティスト?イン?レジデンス」、「神山塾」を通した人材育成など。従來の地域再生の枠にはまりきらないユニークな活動(dòng)をしています。
「神山町は企業(yè)誘致ではなく、人材誘致」と大南氏は語ります
徳島市內(nèi)から車で約40分、山に囲まれ、急峻な斜面に家々が點(diǎn)在している神山町。人口は約6,000人。高齢化率は46%の限界集落です。
2010年10月、名刺管理サービスを提供しているSansanがサテライトオフィスを開設(shè)したことを皮切りに、古民家を借りてサテライトオフィスや新會(huì)社を設(shè)立した企業(yè)は2015年1月現(xiàn)在で11社。ヤフーやグーグルなど大手IT企業(yè)が、研修として短期滯在することもあるといいます。
そして、IT関係だけにとどまらず、町にはビストロやパン屋、歯醫(yī)者、図書館などが誕生。空き家は次々とオフィスや店に姿を変え、2011年の人口動(dòng)態(tài)調(diào)査では、神山町への転入者が転出者を上回ったことで話題になりました。
なぜ、過疎の町がここまで変わったのでしょうか。
スタンフォード大學(xué)大學(xué)院修了後、実家の建設(shè)業(yè)を継ぐために神山町へと帰ってきた大南氏は、県內(nèi)一技術(shù)力のある會(huì)社をつくることに注力。道路がなく不便だった山の上の集落の道路工事を請(qǐng)け負(fù)うと、最初は住民が大喜びするのですが、一方で引っ越しも便利になり町を出て行く人も増えていく現(xiàn)実を目の前にしました。
「過疎は人の意識(shí)や気持ちの変化で起こること。出て行きたい人を止めることはできません。しかし一方で、町に入ってきたい人もいるはずだと考え始めました。また、ある程度會(huì)社を大きくできたときに、ほかにも腕の良い建設(shè)會(huì)社があることにも気づきました。この仕事は自分以外の誰かでもできる仕事。自分自身は、町づくりの方向へ進(jìn)んでいこうと考えたのです」(大南氏)。
仕事の傍ら、神山町で國際交流事業(yè)に攜わっていた大南氏は、ある新聞で徳島県が神山町に「とくしま國際文化村」をつくるという計(jì)畫を知りました。
棚田が広がる神山町の景色
「國際文化村の10年、20年先を考えた時(shí)に、いずれは県でなく住民主導(dǎo)で運(yùn)営されていくことになるだろうと思いました。地域に根ざした取り組みは、住民主導(dǎo)でないと続かない。ならば、最初から民間の発想でスタートさせるほうがいいのではないかと思い、この文化村計(jì)畫に自ら手を挙げました」(大南氏)。
國際文化村の運(yùn)営を考えた時(shí)に、國內(nèi)外の蕓術(shù)家を神山町に呼ぶことを考え、「アーティスト?イン?レジデンス」というプロジェクトを立ち上げました。とはいっても、受け入れる住民はアートを知っているわけでもなく、施設(shè)もない。宿泊場所にも困るゼロの狀態(tài)。
「ならば、一緒にゼロからサポートして、アーティストという人間の滯在の満足度をあげよう。真正面からアートに向き合うのではなく、アーティストというひとりの人間に向き合ってみよう」と考えたのだと言います。
さらに、神山町にせっかく來てくれた人が、気持ちよく過ごせるようにと、アメリカの道路清掃のボランティア活動(dòng)を採用。區(qū)間を決めて住民自身が道路の清掃を手がける取り組みがされています。結(jié)果、神山町にアーティストが移住してくるようになったのです。
「神山町というこの地域の中で、作品を創(chuàng)ることの心地よさを感じていただけたのではないでしょうか」(大南氏)。
「アーティスト?イン?レジデンス」でアーティストが殘した作品。本を寄贈(zèng)した町民だけが鍵を持つことができる図書館。
カプセルをイメージして、1本の木を彫刻したもの。
「人口減少の日本では、今まで人口増加していた地域もこれからは自然と減っていく時(shí)代。神山町のような過疎地では、過疎化の現(xiàn)狀を受け入れて、その上でどうすれば人口構(gòu)成が健全化されていくのかを考えるべきだと思います。
過疎地における課題は、雇用、仕事がないこと。農(nóng)林業(yè)だけに依存しない、多用な働き方を?qū)g現(xiàn)することで、ビジネスの場としての価値を高められないかと思ったのです。農(nóng)林業(yè)に依存しないバランスのとれた持続可能な地域を目指すべきだと。これを”創(chuàng)造的過疎”と呼んでいます」(大南氏)。
神山町を東西に橫斷する「鮎喰川(あくいがわ)」
移住者は獲得したいけれど仕事がないから定住しない。その解決手段として始めたのが、「ワーク?イン?レジデンス」です。これは、神山町の將來にとって必要になる人を逆指名するというもの。既に仕事を持っている移住希望者に、「この空き家はパン屋に貸します」「この空き家はウエブデザイナーに貸します」などと告知して、希望者からピンポイントで逆指名していくのです。
これが好評(píng)でした。移住希望者にとっては「この町に求められている」ということがモチベーションにつながり、町にとっては空き家を計(jì)畫的に動(dòng)かすことにより「町がデザイン」されていったのです。
「多様な働き方」を?qū)g現(xiàn)するために行っているもうひとつの代表的プロジェクトが、場所を選ばない働き方が可能な企業(yè)を支援する「サテライトオフィス」の誘致です。神山町では、光ケーブルの整備が行われており、高速インターネット回線が使えるようになっています。
環(huán)境さえ整っていれば、山に囲まれた神山町でも働くことが出來るというモデルを作り、新しい働き方を提案していくのだといいます。働く場所が自由になることで、暮らす場所も選択肢が広がるわけです。
また、閉鎖された元縫製工場を改修し、「神山バレー?サテライトオフィス?コンプレックス」というコワーキングスペースも運(yùn)営も行っています。さまざまな分野のクリエイターがこの場所に集まることで、地域発の先進(jìn)的なサービスやビジネスを生み出すことを目的としています。
元縫製工場を改修してつくられた「神山バレー?サテライトオフィス?コンプレックス」。大人數(shù)で使用できる部屋や、一人ひとりのデスクが置かれた部屋などがあり、企業(yè)の研修にも利用される。
グリーンバレーの信念は「オープン?フラット?フレキシブル」。オープンとは、外と內(nèi)の線を引かないこと。フラットは、上下関係を作らないこと。フレキシブルは枠を作らないこと。
「田舎なのにオープン。この隙間ができたことで、最初にアーティストたちが移住するようになりました。次に手に職を持っている人、そして、ITベンチャーがやって來ました。アーティスト、起業(yè)家、IT関係という塊は、もともとの神山町にはなかったものです。それが循環(huán)し始めて、今まで成立しえなかったサービス産業(yè)、ゲストハウスやビストロなどが生まれてきました」(大南氏)。
新しい働き方がサービス産業(yè)を興し、今、サービス産業(yè)に使われるものを育み始めているのだそうです。
「移住して來た人は、限界集落というものを見たことがないわけです。彼らは田舎や農(nóng)業(yè)に固定観念がなく、枠を作らずにまっすぐ向き合ってくれます。神山町の將來のために職を持つ人材を逆指名して募り、ビジネスを誘致してきたことで面白い循環(huán)ができました。
有機(jī)野菜を扱うビストロができ、今度は有機(jī)野菜を扱うゲストハウスができます。彼らが今、『有機(jī)農(nóng)業(yè)』というヒントをくれたのです。私たちの活動(dòng)は『企業(yè)誘致』だといわれることもありますが、これは『人材誘致』だと思っています」(大南氏)。
空き家への移住者は2010年から2013年までに58世帯105人。そのほとんどが30代の若者だという。
新しい働き方を?qū)g踐してもらい、人の流れができたからこそ出た「有機(jī)農(nóng)業(yè)」というキーワード。今後は、「ワーク?イン?レジデンス」として有機(jī)農(nóng)業(yè)者を集めることも考え、次の神山町の姿を思い描いているそうです。
「楽観的に物事を考えるから、物事が進(jìn)みやすいんだと思います。ほんの小さな取るに足らないことでも、悲観的に考えたら大きくなる。でもたいしたことないと思えば、前に進(jìn)めるんです。日本は労働の生産性が上がらないと言われていますが、枠にとらわれないクリエイティブな働き方が必要だと思います。
こうしなくちゃいけないという枠の中で歯を食いしばって我慢しながら働くのではなく、これからは、暮らしも仕事も枠をつくらず楽しむという考え方が大切です」(大南氏)。
神山町でのこの取り組みは、働き方の変革はもちろん、労働生産性の向上や空き家再生、過疎対策や農(nóng)産業(yè)の振興など、日本が抱える多くの課題を解決するヒントがありそうです。