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Special Interview スペシャルインタビュー サステナブルな人 建築家 レンゾ?ピアノ氏

ポンピドゥー國立蕓術(shù)文化センター。1977年に開館したフランスの國家プロジェクトで、ポンピドゥー大統(tǒng)領(lǐng)の名を冠する。
© Gianni Berengo Gardin / RPBW

人

サステナブルな人 スペシャルインタビュー

現(xiàn)代建築の父 レンゾ?ピアノに學(xué)ぶ
「サステナブルな建築とは、人びとに愛され続けること」

2022.01.11

2021年に84歳を迎えた建築界の巨匠レンゾ?ピアノは、出世作ポンピドゥー國立蕓術(shù)文化センター(仏?パリ?1977年。以下、ポンピドゥーセンター)で公共文化施設(shè)の新境地を切り拓きました。蕓術(shù)を一部のエリートのための閉ざされた文化施設(shè)から解放する「人びとのための建築」は、どのようにして生まれたのか。そのプロセスには、サステナビリティの本質(zhì)をとらえるための多くのヒントが隠されています。ポンピドゥーセンターで思想の土臺を固め、以後人びとに愛され続ける建築を探究してきたレンゾ?ピアノの軌跡を、20年にわたりレンゾを支え共に働いた建築家 岡部憲明さんと、今もレンゾと働く石田俊二さんの解説でお伝えします。

レンゾ?ピアノ氏とともにポンピドゥーセンターの設(shè)計(jì)を手がけたリチャード?ロジャース氏が2021年12月18日にご逝去されました。謹(jǐn)んで哀悼の意を表します。

1978-79 年頃の岡部憲明氏 レンゾ?ピアノ氏 石田俊二氏
© Gianni Berengo Gardin

1977/1/31、ポンピドゥーセンター開館當(dāng)時(shí)のレンゾ?ピアノ氏とリチャード?ロジャース氏
© RPBW

レンゾ?ピアノ 氏

© Stefano Goldberg / RPBW

レンゾ?ピアノ 氏

1937年、ジェノバ(イタリア)の建設(shè)業(yè)者の家に生まれる。ミラノ工科大學(xué)在學(xué)中にフランコ?アルビニに師事。1970年、33歳でイギリス人建築家リチャード?ロジャースとともにPIANO+ROGERSを立ち上げる。國際コンペを勝ち抜きポンピドゥーセンターを完成させたのち、1977年に構(gòu)造エンジニアのピーター?ライスと、石田俊二、岡部憲明と共にPIANO RICE ASSOCIATESを設(shè)立し、1981年まで協(xié)働する。
1981年に事務(wù)所「Renzo Piano Building Workshop」を設(shè)立。(パリ?ジェノバ?ニューヨークに事務(wù)所を構(gòu)え、総勢150名のスタッフが働く。2021年1月現(xiàn)在)
今日に至るまでに個(gè)人および公共、大學(xué)美術(shù)館、コンサートホール、文化センターから研究所、醫(yī)療施設(shè)、都市再開発計(jì)畫、都市のランドマーク、國家プロジェクトなど世界地図に數(shù)多くの軌跡を殘している。
【主な受賞?経歴】
RIBAゴールドメダル(ロンドン?1989年)?京都賞(京都?1990年)?高松宮殿下記念世界文化賞(東京?1994年)?プリツカー賞(ワシントン?1998年)?ユネスコ親善大使(1994年)?AIA ゴールドメダル (ワシントン?2008年)?2013年よりイタリア終身上院議員?2014年よりコロンビア大學(xué)名譽(yù)教授

石田俊二 氏

© Shunji Ishida

石田俊二 氏

建築家?Renzo Piano Building Workshop共同創(chuàng)設(shè)者/現(xiàn)RPBWフェロー
1944年、靜岡県に生まれる。北海道大學(xué)建築工學(xué)科を経て東京工業(yè)大學(xué)大學(xué)院修士課程在籍、清家清研究室に學(xué)ぶ。1969年に中退、渡英し、ロンドンの総合エンジニアリング?プロフェッショナルサービス企業(yè)ARUP ASSOCIATEに勤務(wù)。1972年よりP(guān)IANO+ROGERSの一員としてポンピドゥーセンターの実施設(shè)計(jì)および建設(shè)に攜わったのち、PIANO RICE ASSOCIATESに設(shè)立から參畫する。Renzo Piano Building Workshopの共同創(chuàng)設(shè)者として34年間、ジェノバオフィスのチーフアーキテクトを務(wù)め、現(xiàn)在はRPBWフェロー。

岡部憲明 氏

© WPP

岡部憲明 氏

建築家?岡部憲明アーキテクチャーネットワーク代表?フランス政府公認(rèn)建築家?蕓術(shù)工學(xué)博士
1947年、靜岡県に生まれる。早稲田大學(xué)理工學(xué)部建築學(xué)科卒業(yè)後、山下壽郎設(shè)計(jì)事務(wù)所を経て1973年にフランス政府給費(fèi)研修生として渡歐。PIANO+ROGERSの一員としてポンピドゥーセンターの実施設(shè)計(jì)および建設(shè)に攜わったのち、PIANO RICE ASSOCIATESに設(shè)立から參畫する。1981年のRenzo Piano Building Workshopの創(chuàng)設(shè)に參畫して、パリオフィスのチーフアーキテクトを務(wù)める。1988年に関西國際空港旅客ターミナルビルの國際コンペを擔(dān)當(dāng)し優(yōu)勝。Renzo Piano Building Workshop JAPANを設(shè)立し、設(shè)計(jì)責(zé)任者として実現(xiàn)に攜わる。
1995年に岡部憲明アーキテクチャーネットワークを設(shè)立し、東京ベルギー大使館や小田急ロマンスカーに代表される鉄道車両といった多方面にわたるデザインを手掛けている。
神戸蕓術(shù)工科大學(xué)教授(1996年?2016年)東京大學(xué)大學(xué)院非常勤講師(1997年-1998年)

歴史都市パリを刺激したポンピドゥーセンター

ポンピドゥーセンターはオープン當(dāng)初、外観の斬新さから「まるで石油基地か宇宙船」と揶揄されたといいます。しかし、歴史都市パリの人びとに驚きをもって迎えられた建造物は1年間でルーブル美術(shù)館をしのぐ700萬人の入館者を集めました。それから44年。ポンピドゥーセンターは人びとのための場でありつづけ、ノートルダム大聖堂と並ぶパリのランドマークとなっています。

レンゾ?ピアノは、雑誌の取材に「いかつい文化施設(shè)のイメージを破壊したかった。これは蕓術(shù)と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時(shí)にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った。
© Noriaki OKABE 提供:NOAN

ポンピドゥー大統(tǒng)領(lǐng)が「五月革命(※)で傷ついた人びとの心を癒やすのは文化蕓術(shù)だ」と構(gòu)想したプロジェクトは、あらゆる面で解放的でした。高さの制限を取り払い、國際コンペで世界中の建築家に門戸を開き、開館時(shí)間は働く人びとも勤務(wù)後に行けるよう22時(shí)まで。図書館?美術(shù)館?映畫館?音響音楽研究所?ホールや會議室が領(lǐng)域を超えて一つの建物に同居し、広場を介して街と一體化する。世界各國から681案が集まった競技設(shè)計(jì)の結(jié)果、選ばれたのがレンゾ?ピアノ+リチャード?ロジャース+ジャンフランコ?フランキーニのチームでした。実施設(shè)計(jì)、建設(shè)プロセスはトータル16カ國から20人余りの建築家が出入りする國際色豊かなチームで進(jìn)められ、岡部憲明さんと石田俊二さんも重要な役割を擔(dān)いました。また、OVE ARUP & PARTNERS (現(xiàn)ARUP)社がエンジニアリングの面で協(xié)働しました。

※1968年5月に學(xué)生たちの運(yùn)動(dòng)を中心にして起こった爭亂。

岡部さんは、ポンピドゥーセンターを振り返って次のように語ります。
「建造物としての価値にとどまらない、あらゆる自由なことが行われるような場をパリの真ん中に構(gòu)築したことの価値が大きいと考えます。開館から44年が経過してもまったく古くならず、図書館に來た人が美術(shù)や音楽に觸れ、子どもたちへは教育が行われている。ポンピドゥーセンターは、石造りの歴史的建造物に閉じ込められた、エリートしかいかない美術(shù)館の対極にあります。すべての建築的な技術(shù)とデザインは、自然に人びとの足が向き、愛され続ける場所になるために仕掛けられました」

岡部さんの話す「建築的仕掛け」を4つのキーワードで紐解くと、構(gòu)造から素材に至るまで、実に多くの工夫が施されたことがわかります。ダクトが外部に露出した斬新な外観にも、意図と必然性があったのです。

〈人びとに愛され続ける建築を紐解く 4つのキーワード〉

1)オープネス -開放性-

「これまでのように重く閉ざされた歴史的な建造物として威厳を示すのではなく、訪れる人にとってわかりやすく、都市に溶け込む、開いた空間にしようと努めました。象徴的なのは、広場側(cè)のエスカレーターや外部回廊からパリの街が眺望できることです。最上階にはパリの街を見下せるテラスのあるレストランも設(shè)けられています。內(nèi)部には柱のない160m×50mの大空間をつくりました。外部にエスカレーター、エレベーター、外部回廊、ダクトなどが露出しているのはこのためで、展示や表現(xiàn)の自由度を支えています。これは、レンゾも含め20?30代の若い建築家集団に、コンペ案の時(shí)點(diǎn)からエンジニアリングにARUP社のサポートが入っていたことが大きい」(岡部さん)

© Shunji Ishida / RPBW

高さ7mの自由空間。ポンピドゥーセンターの5階からは、パリの街を一望できる
© RPBW

2)トランスペアレンシー -透明性、可視性-

「ポンピドゥーセンターの前には、建物と同じくらいの広さで建物と向かい合う広場があります。広場にいる人びとの視線はガラスを透過し、內(nèi)部のフォーラム部分が見える。アプローチであるエスカレーターもむき出しでぶら下がっている。パリでは多くの人が図書館に行く習(xí)慣を持ちますが、図書館に來た人から美術(shù)館で何をしているかが見える。何をしているか見えるから誘われます」(岡部さん)

© Noriaki OKABE 提供:NOAN

建造物と広場の開かれた関係性が、ポンピドゥーセンターを象徴している。
© Noriaki OKABE 提供:NOAN

3)ヒューマニティ -人間性-

「建物が倒れないようにする構(gòu)造技術(shù)と、人間が過ごす空間をより良くする環(huán)境技術(shù)を同等に重視してデザインと技術(shù)をまとめました。また、ピーター?ライスの提案により構(gòu)造體に『見られる』ことを意識した素材を選んだことも特徴的です。柱や梁のジョイント部分の一部に鋳物(鋳鋼)を使い、柔らかい印象をつくりました。鋳物の柔らかさなどオーガニックなものが持っている觸覚的な質(zhì)感が、人間に心地良さを與えています」(岡部さん)

© RPBW

ジョイントに使用した鋳鋼 ガーブレット
© RPBW

鋳鋼を選んだのは構(gòu)造エンジニアのピーター?ライス
© RPBW

4)フレキシビリティ -柔軟性-

「ポンピドゥーセンターは、開館當(dāng)時(shí)5階にあった映畫館を數(shù)年後に地上階へ移す改修をしました。映畫館は美術(shù)館が閉館する22時(shí)よりさらに遅く、24時(shí)まで開けていたので、5階にあると防犯上の負(fù)荷が高かったため、地上階に移しました。同時(shí)に、大きな重い作品を展示できるように、また若い作家たちの登竜門のようなスペースをつくろうと、美術(shù)館も地上階に拡張しました。各階にある柱のない160m×50mの大空間が、多様な活動(dòng)に対応して変化したのです。その後も、美術(shù)館の改造、デジタル時(shí)代に合わせた図書館の改良、フォーラムの改良など、多くの計(jì)畫が簡潔にできたのは、この建物が持つフレキシビリティによるものです。」(岡部さん)

フォーラムの床の開口部は、開館當(dāng)初は今よりも広く取られていた。スペースを確保するため、開館後に編集された。
© RPBW

こうして出來上がったポンピドゥーセンターは、44年がたとうとする今も人びとの多様で人間的な営みの舞臺であり続け、森美術(shù)館(日?東京)やテートモダン(英?ロンドン)などの新しい文化施設(shè)にも影響を與えました。ポンピドゥー大統(tǒng)領(lǐng)が発案し、規(guī)制や古い価値観から解放された若い建築家のチームが創(chuàng)造と進(jìn)化を盡くしてつくりあげた人びとのための建築は、大きな効果を現(xiàn)しています。

レンゾ?ピアノの信念「美しい建築は世界を変えられる」

ポンピドゥーセンターで人びとのための建築をつくりあげた後、レンゾはテレビ番組やワークショップを通して一般の人びとに「つくる」とはどんなことかを伝えることに盡力します。

また、フレキシビリティを極めた移動(dòng)式パビリオンを手がけ、2年間で歐州30箇所を巡り、子どもたちにコンピューターテクノロジーに觸れる場を提供しました。

© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984 May

© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984 May

© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984 May

© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984

© Gianni Berengo Gardin / RPBW  at Amsterdam 1985 April

ドイツのボンではライン川の船の上に建設(shè)しました。
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Bonn Germany 1986

2000個(gè)のパーツに分解して13臺のトレーラーで運(yùn)べるように考案された移動(dòng)式パビリオン。航空機(jī)の空調(diào)を參考にした設(shè)備を備え、40度からマイナス20度までの気候に対応した。時(shí)には川の上に浮かべることもあった。

パリ郊外のモンルージュ市に計(jì)畫されたシュルンベルジェ社ビルでは、既存の工場地を再開発して、水と緑を囲むオフィスにつくり変えました。人と土地の自然との間に新しく美しい関係性を紡ぎ出したことで、そこに働く人びとの心に余裕と優(yōu)しさが生まれました。

© RPBW

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レンゾは「工場も私たち人間の歴史なのだから、その土地を生き返らせ、長く使ってもらえるようにすることに意味がある」と、工場を取り囲んでいた建物は殘して改裝し、工場があった敷地に池と丘をつくった。庭園はランドスケープアーキテクトのアレクサンドル?シュメトフが擔(dān)當(dāng)。常に四季が感じられるよう、短い春と秋を少しでも長く感じられるように植栽計(jì)畫がなされた。保存した既存の建物も、部分的に床を抜いて光を通し、階段やエレベーターを配置した。集會場、レストラン、カフェ、駐車場などのサービス施設(shè)はテントのある丘の下に隠されている。

岡部さんが最もレンゾらしいと話すメニル?コレクションは、プライベートな美術(shù)館のプロジェクトです。プロジェクトを擔(dān)當(dāng)した建築家は石田俊二さん。このプロジェクトでは、ポンピドゥーセンターでも活躍した構(gòu)造エンジニアのピーター?ライスと、環(huán)境サービスエンジニアのトム?バーカーとが協(xié)働。構(gòu)造體と空気設(shè)備が融和して自然光を操り、これまでにない方法で美術(shù)作品に光を當(dāng)てました。レンゾは光について、「光の存在は重要です。明暗といった物理的な次元を超えて、その建築の態(tài)度をも表す」と言っています。

© RPBW

© RPBW

「オーナーのドミニク?ド?メニル夫人は、自身のコレクションの見せ方について、はっきりとした意見をお持ちでした。『自然光で展示物を見たい。例えば雲(yún)が建物の上を流れていく時(shí)にそれが內(nèi)部空間の中にいても感じられるようにアート作品を鑑賞したい』というリクエストが葉う空間にしました」(石田さん)

環(huán)境サービスエンジニアのトム?バーカーとレンゾ。構(gòu)造形態(tài)を利用して、目には見えない空気の流れと自然光の関連性の重要性をプレゼンテーションしている。
© RPBW

関西國際空港旅客ターミナルなど數(shù)え切れないほどの名建築を生み出し続けているレンゾ。

撮影:細(xì)川和昭 提供:NOAN

撮影:細(xì)川和昭 提供:NOAN

撮影:畑祥雄 提供:NOAN

1994年9月に完成、開港した関西空港國際ターミナル。國際コンペにてRPBW PARISが優(yōu)勝し、設(shè)計(jì)責(zé)任者を?qū)繎椕鳏丹螭瑒?wù)めた。3枚目の寫真は、ターミナルビル4階の中央部に位置する長さ1.7kmの國際線出発ロビー。大空間を滑らかに包む流線形の構(gòu)造體が特徴的だ。ポンピドゥーセンターの空調(diào)システムを開発したトム?バーカーのアイデアで、天井に吊られた「オープンエアダクト」と名付けた白い膜の下面に空気を滑らせることで気流を制御し、片側(cè)から風(fēng)を送ることで、大空間を快適に保つことに成功した。オープンエアダクトは照明の反射板にもなっており、やわらかい間接光が旅客を包む。

ニューヨーク?タイムズビルは、富と権威を象徴する重厚なマンハッタンのビル群の中、シンプルかつ、軽快にそびえ立ちます。

© RPBW

© RPBW

52階建て+アンテナマストの超高層ビル。2000年、指名コンペでRPBWが優(yōu)勝。ファサード(正面デザイン)にはオフホワイト色のセラミックロッド(丸棒)で窓の外面を覆うダブルスキンを採用した。外側(cè)のセラミックロッドはエネルギー効率の高いサンスクリーンとして機(jī)能するほか、街の光や刻々と変わる天候に応じて繊細(xì)に変化し、訪れる時(shí)間によってビルの色が違って見えるデザインが人々を魅了する。

© RPBW

「ホールの観客席に座った時(shí)に、正面に中庭があって、その先にロビーが、そしてさらに道路を走るタクシーが見えるような透明性のあるパブリックな空間をつくりたいというのが我々の提案でした」(石田さん)

© Serge Drouin / RPBW

ビル屋上、アンテナに登っているのは設(shè)計(jì)を擔(dān)當(dāng)したバーナード?プラットナー。ポンピドゥーセンター以降、現(xiàn)在も石田さん同様、RPBWフェローとしてレンゾを支えている。

?ジェノバ サン?ジョルジオ橋

2018年、イタリア?ジェノバ-サボナ間を結(jié)ぶ高速道路高架橋モランディ橋が崩落し、43人が犠牲になった事故の緊急復(fù)興に攜わりました。地中海に面したジェノバは造船の街であり、レンゾの故郷です。再建されたサン?ジョルジオ橋は、歴史的に培われてきた造船技術(shù)を活用して船をつくるように鉄板を曲げてつくり、丸みのある下部の造形で風(fēng)の抵抗を減らしました。レンゾは竣工時(shí)のスピーチで「この橋が日常生活の一部になり、デッキで戯れる地中海の光とともに、橋を渡る人や橋の下の公園を散歩する人の心を明るくする存在として愛されることを願(yuàn)っています」と語っています。

© RPBW

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レンゾは、「この橋は喪に服した悲劇から生まれた子だが、1,000人以上が力を結(jié)集した建設(shè)現(xiàn)場は私の人生のなかで最も美しいものだった」と、ジェノバの街と、そこに住むイタリア人の誇り、人びとの情熱溢れるエネルギーを稱えた。石田さんもまた、「現(xiàn)場に行くと職人の一人ひとりが誇りを持って仕事をしていることを感じられる熱気のある現(xiàn)場でした」と振り返る。

すべてのプロジェクトに通底するのは、「美しい建築は世界を変えられる」という信念。レンゾは英國Royal Academy of Artsでのスピーチで次のように語っています。
「建築は、ひとときの見せ物ではなく使うもの。使われることで、人びとに提案せずとも人びとを変え、美の感情に特別なスイッチを入れ、世界を変える力がある」

これからの世界に、人びとに愛され続ける建築をつくるのは誰か

石田さんは、「レンゾは、自分が良い建物をつくったかどうか、人びとに愛され続けているかどうか、見に來ている人の目を見て判斷する」と話します。
後に続く人びとは、どうすれば世界をより良くするようなものをつくっていけるのでしょうか?

「若い人たちには、先を読みながら、未知の世界を開拓していってほしい。そのために必要なのは、つくるものに対してポジティブに狀況をみること。問題や制約に対して、自分で考えることに意味があると信じてアイデアを出す。それから、コミュニケーションの場を積極的につくること。さまざまなプロフェッショナルが集まり、新しい技術(shù)開発をしながら同時(shí)にどう使われるかを考えながら進(jìn)めていったポンピドゥーセンターはそういうつくり方でこそ実現(xiàn)しました」(岡部さん)

石田さんもまた、「第二次世界大戦が終わった時(shí)に8歳だったレンゾは、昨日より今日、今日より明日の生活が良くなることを?qū)g感しながら育ちました。世の中は毎日良くなっていくという思考を根底に持っていたこと。レンゾと話せば、皆たちまち互いのバックグラウンドを超えて家族のように気持ちを通じ合わせ、ポジティブに世の中を見られるようになることは、レンゾとレンゾのチームの創(chuàng)造にとって、とても重要です」と未來への肯定から創(chuàng)造性を発揮することに共鳴します。

レンゾが、人びとに愛され続けるサステナブルな建築を生み出し続けてこられたのは、そのプロセスに、一人ひとりの自信や前向きさ、未來への希望と肯定を土臺にした「共創(chuàng)」があったからなのかもしれません。

大和ハウス工業(yè)は2021年10月1日、地域に開かれた研修施設(shè)「みらい価値共創(chuàng)センター コトクリエ」を奈良県奈良市に開所しました。室町時(shí)代に身分を超えて多様な人が集まり議論をかわした「會所」を建物のコンセプトに據(jù)え、地域の人にも活用してもらう共創(chuàng)の場となることを目指した創(chuàng)意工夫がちりばめられています。「21世紀(jì)は風(fēng)と太陽と水を事業(yè)テーマとすべき」という創(chuàng)業(yè)者 石橋信夫の言葉を掛け合わせたゾーニングを採用。中庭を通して人びとと空間がつながり交わる風(fēng)のゾーン、上下の吹き抜けでダイナミックな賑わいを演出する太陽のゾーン、個(gè)室で靜かに自分を向き合い再発見を促す水のゾーンで構(gòu)成されています。

多様な人びとの利用を見據(jù)えてALLジェンダートイレや授乳室?祈禱室を完備。奈良県産の吉野杉をふんだんに使用し、迎賓室の家具は春日大社の境內(nèi)で風(fēng)倒木した杉であつらえるなど、地域とつながりも重視しました。建物內(nèi)部だけでなく、レンゾ?ピアノさんや岡部さんが重視するランドスケープにも注力しており、國際認(rèn)証 SITES®(ランドスケープの環(huán)境性能)を取得予定。LEED®(建物の環(huán)境性能)?WELL認(rèn)証(人間の健康)と合わせた3つの國際認(rèn)証に加え、BELS(ZEB-Ready省エネ性能)?JHEP(生物多様性)の認(rèn)証取得を狙いました。

「世代を超えてあらゆる人が訪れ、ハッピーでポジティブになれる場所、共に価値を生み出す場所」として、“人びとに愛され続ける”公共性の高い場づくりへの挑戦が始まっています。

建設(shè)の前に行われた発掘調(diào)査で、平城京の住居跡などが発見された。採取した奈良時(shí)代の土を外壁材に使用し、土地の記憶を今に蘇らせている。

詳しくは、コトクリエ公式サイトをご覧ください。
?コトクリエ公式サイト

RPBW 公式サイト

SPECIAL GALLERY

1989-1991 Renzo Piano Building Workshopシ?ェノウ?ァ事務(wù)所+ファンテ?ーション?レンソ??ヒ?アノ

1989-1991 Renzo Piano Building Workshopシ?ェノウ?ァ事務(wù)所+ファンテ?ーション?レンソ??ヒ?アノ

1989-1991 Renzo Piano Building Workshopシ?ェノウ?ァ事務(wù)所+ファンテ?ーション?レンソ??ヒ?アノ

1989-1991 Renzo Piano Building Workshopシ?ェノウ?ァ事務(wù)所+ファンテ?ーション?レンソ??ヒ?アノ

1992-2000 ト?イツ ヘ?ルリン 「ホ?ツタ?マー?フ?ラッツ再開発」

1992-2000 ト?イツ ヘ?ルリン 「ホ?ツタ?マー?フ?ラッツ再開発」

1992-2000 ト?イツ ヘ?ルリン 「ホ?ツタ?マー?フ?ラッツ再開発」

1993-1998 ニューカレト?ニア ヌメア 「シ?ャン=マリー?チハ?ウ文化センター」

1993-1998 ニューカレト?ニア ヌメア 「シ?ャン=マリー?チハ?ウ文化センター」

1993-1998 ニューカレト?ニア ヌメア 「シ?ャン=マリー?チハ?ウ文化センター」

1994-2002 イタリア ローマ 「オーテ?ィトリアム?ハ?ルコ?テ?ッラ?ムシ?カ」

1994-2002 イタリア ローマ 「オーテ?ィトリアム?ハ?ルコ?テ?ッラ?ムシ?カ」

1994-2002 イタリア ローマ 「オーテ?ィトリアム?ハ?ルコ?テ?ッラ?ムシ?カ」

2000-2008 アメリカ カルフォルニア州 サンフランシスコ 「カリフォルニア?アカテ?ミー科學(xué)博物館」

2000-2008 アメリカ カルフォルニア州 サンフランシスコ 「カリフォルニア?アカテ?ミー科學(xué)博物館」

2000-2008 アメリカ カルフォルニア州 サンフランシスコ 「カリフォルニア?アカテ?ミー科學(xué)博物館」

2007-2013 アメリカ テキサス州 フォートワース 「キンヘ?ル美術(shù)館増築」

2007-2013 アメリカ テキサス州 フォートワース 「キンヘ?ル美術(shù)館増築」

2007-2013 アメリカ テキサス州 フォートワース 「キンヘ?ル美術(shù)館増築」

2008-2016 キ?リシャ アテネ 「スタフ?ロス?ニアルコス財(cái)団文化センター」國立オペラハウス?國立図書館

2008-2016 キ?リシャ アテネ 「スタフ?ロス?ニアルコス財(cái)団文化センター」國立オペラハウス?國立図書館

2008-2016 キ?リシャ アテネ 「スタフ?ロス?ニアルコス財(cái)団文化センター」國立オペラハウス?國立図書館

2012-2021 アメリカ カルフォルニア州 ロサンセ?ルス 「モーション?ヒ?クチャー?アカテ?ミー?ミューシ?アム」

2012-2021 アメリカ カルフォルニア州 ロサンセ?ルス 「モーション?ヒ?クチャー?アカテ?ミー?ミューシ?アム」

2012-2021 アメリカ カルフォルニア州 ロサンセ?ルス 「モーション?ヒ?クチャー?アカテ?ミー?ミューシ?アム」

2013-2021 ウカ?ンタ? 「エマーシ?ェンシー小児外科病院」

2013-2021 ウカ?ンタ? 「エマーシ?ェンシー小児外科病院」

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