深刻な環境問題がドイツ人の意識を変えた
環境先進國として今のドイツがあるのは環境問題に直面する機會が多かったからなんです。1980年代に経済発展の影響で酸性雨が発生しドイツ南部に広がる広大な針葉樹林「黒い森」が消滅の危機に瀕しました。自らを「森の民」だと自負するドイツ人は、それを転機にこれまでの暮らしを見直し、法律も変えることになりました。
簡単に言えばすべての生産者は法律上、製品がゴミになったときのことまで考えなければならなくなったのです。例えば車のリサイクル率は、2015年には95%にまでしなければなりません。
更に、寒さの厳しい冬にエネルギー消費抑制ができるよう、住宅の斷熱性能にも厳しい基準があります。子どもたちへの環境教育の著手も早く、國が積極的に動いています。
自分のスタイルを持つことがサステナブル
ドイツの環境意識が高いのは自分のスタイル(=軸)を持っていることも大きいと思います。日本人は流行に敏感でオシャレですが、流行に振り回されてどんどんものが増えてしまう。いずれはタンスの肥やしとなり、掃除や整理整頓が行き屆かなくなって……という嫌なスパイラルに陥って疲れている人が多いのでは?
これでは、心地よい生活は持続できません。自分のスタイルをきちんと持ち、本當に必要なものを見極め、シンプルに暮らすことこそが自分にとっても、環境にとっても良いことなのではないかと思うのです。
もともとはお母様が使っていたもので、もらったのではなく「預かっている」狀態なのだそう。ものを受け継ぎ、あるものを使い続けることが大切なこと。
お気に入りのカップ&ソーサーは割れたり、欠けたりするたびに、金継ぎ修理して長く使っている。
靴はフラットでシンプルなものを色違いで購入。必要以上には持たないので、靴箱の中はいつも一定の數しか入っていない。買い換えはしても買い足しはしないようにしている。
今の私のスタイルは「疲れない、心地よく楽しい暮らし」をすること。私は「買う」と決めてから、素材、質感、サイズをじっくり吟味。気に入るものが見つかるまで、妥協せずに探します。時間をかけながら納得して選んだものは、手に入れたときの喜びも大きくなるし、愛著もわくのです。
そうやって選び抜いたものは、自然と品質がよく、作りがシンプルで、傷さえも味になるような長く使い続けられるものが多いですね。
5年ほど履いているフェルト素材のスリッパ。「足もとを暖かくすると、暖房も控えめですみますよね」と多仁亜さん。洗濯できるものを購入し、長く使うのがポイント。
ファッションは自然素材で家で洗濯できるものが基本。動きやすく、窮屈でないことも大切。冬はこうして綿入りの薄手のベストを著て、時にはスカーフを。ファッションをシンプルにして、スカーフをアクセントに。
ドイツではどの家庭にもある湯たんぽ。これは7年ほど使い込んでいるものだそう。
色々な用途に使える基本のものをそろえる
毎日の家事の基本である、お掃除やお料理をする際にも、シンプルで代用できるものを選んでいます。
例えばお掃除で活躍するのが重曹。キッチンまわりの研磨剤としてはもちろん、排水溝に振り掛けたり、洗濯する際に入れることで匂いをとったりと、何役もこなす萬能なものを選ぶと無駄もなくなります。
また、日本の家には冷蔵庫にたくさんの調味料があふれかえっている印象があります。酸っぱいのか、甘いのか、しょっぱいのか、それさえわかれば代用できるものがきっとあるはず。使い切らない調味料や食材を無駄にするより、オリジナルの味を楽しめるくらいのほうがいいと思うんです。
時間をかけて受け継ぐ「もの」と「心」
私のシンプルな暮らしは、何年もの時間をかけて母から受け継いできたもの。今、夫の故郷である鹿児島での暮らしを通して、新たに受け継いでいきたいものがあります。
2009年の夏、夫の実家のある鹿児島に家を建て、1~2カ月に1回は東京から鹿児島へ帰ることにしました。そこでは夫の家族が代々暮らし、伝えてきたものがあります。亡き義母が執り行っていた冠婚葬祭や鹿児島のお料理、お菓子づくりなどを、帰るたびに義姉に習いながら覚えています。
でもそれは一朝一夕でできるようにはなりません。毎年同じように季節のお料理やお菓子をつくり、行事をするなどの繰り返しにより、身につき、なじむもの。
長い時間をかけて受け継がれて來た伝統や文化。自分自身も時間をかけて身につけながら、次の世代に伝えられたらと思っています。