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全區畫溫泉付!霧島連山の麓でゆったり暮らす。溫泉つきスローライフを楽しむ。
今回は歴史に関してのご紹介です。 鹿ケ谷の陰謀 (ししがたにのいんぼう) 鹿ケ谷の陰謀とは、平安時代の1177年(安元3年)6月に 京都(現在の京都市左京區)の山荘で謀議が行われたと云われる 平家打倒の陰謀事件です。 密告で陰謀は露見し、僧侶 俊寛、平 康頼、藤原 成経(なりつね)は、 平 清盛によって捕らえられ、流刑に処せられました。 遠島の流刑地は、鬼界ケ島でした。 【鬼界ケ島】=鹿児島郡 三島村 硫黃島(屋久島の北に位置)
藤原 成経には、戀人がいました。 伯耆局 (ほうきのつぼね)です。 彼女は、成経に會いたい一心で、 大隅國正八幡宮(現鹿児島神宮)を 頼り訪ねます。 當時の大隅正八幡宮の運営は、 桑畑氏、留守氏、最勝寺氏、沢氏の 四社家で行われていました。 なかでも、桑畑氏が筆頭社家を 務めていました。 神社の周辺は現在もこの四社家の 広大な屋敷跡が殘り、歴史の奧深さ を知ることができます。 伯耆局 (ほうきのつぼね)は、 京の都から幾日も経て、ようやく 八幡宮へ辿り著きました。 ところが、 八幡宮の桑畑氏の息子の清道は、 伯耆局を一目見て戀心を抱いてしまいます。 清道は、「いつか會わせてやる」と言いつつ、 伯耆局を數か月も側に置き続けます。 しかし、いつまでもこのような事は続きません。 後に伯耆局は、清道から欺かれたことを知るのでした。 いつまで待っても、 鬼界ケ島へ渡ることは葉わず、 ここ「こがの杜」に來ては、 南の彼方を見つめて 悲しみの日々を送ったそうです。 戀焦がれながら月日は流れ、 最後には、この地で果てたと云います。 土地の人々は、 伯耆局を哀れみ、ここに楠木を植えました。 時を経て、 楠木は、やがて大木となります。 因みに、このお話は 平家物語長門本に登場しています。 また、 “恨みじな。風の森なるさくら花。 さこそ仇なる色に咲くらめ” と、 夫木和歌抄にも詠まれています。 (鎌倉時代後期1310年頃に成立した和歌集) 僧侶 俊寛が流刑になった物語は、 歌舞伎の「平家女護島 俊寛」として演目にもあり、 數年前、中村勘三郎さんが、三島村 硫黃島の海岸を舞臺に 演じたことで話題になりました。
霧島市國分の大隅國分寺跡から府中の手篭川に架かる橋を渡り、姫城地區舊道沿いの住宅街に進むと大きな楠の木が現れます。 「こがの杜」史跡公園です。 別名「風の杜」とも呼ばれる小さな公園です。 今は田んぼや住宅地の中になっていますが、 その昔は大きな船著場があって、そこから鬼界ケ島など南海へ向けて船出していたそうです。 公園にある大きな楠木は、地域の方々に今も大切に護られています。
■撮影年月日/全て平成26年8月 ■「こがの杜」史跡公園 霧島市國分姫城147-1 お問合せ 霧島市文化振興課 電話 0995-45-5111
■交通アクセス/ロイヤルシティ霧島妙見臺より約8.5㎞(車で約13分)
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霧島は山?川?海が身近にあり、また溫泉にも恵まれた自然豊かなところです。霧島はもちろん、鹿児島全體の魅力もお屆けしていきます。
石垣 潤
霧島に來て2年半。よろしくお願いします。
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